Room No."GA"
2020-11-02T15:13:25+09:00
genta_ito
Excite Blog
車をもらいました
http://roomg.exblog.jp/29244837/
2020-03-24T00:00:00+09:00
2020-11-02T15:13:25+09:00
2020-11-02T15:13:25+09:00
genta_ito
日記
以前から車が必要だとは思っていました。というのは、子供が3人になり、幼稚園や習い事の送り迎えのときに、妻が長女と次女をチャイルドシートに乗せ、三女を抱っこひもに入れて自転車に乗らざるを得ないことがあり、さらに雨が降った日には途方に暮れるような状態で、せめて三女が小学校に上がるまでは車がほしいと思っていました。
そんなタイミングで、職場の方から「車を手放そうと思うんだけど、いりませんか?」と声をかけていただきました。その方はお子さんが高校に進学するタイミングで、ご自身も日常的には使わなくなってきたので、維持費を節約するために手放したいとのことでした。やはり時々の遠出や急の外出に使うぐらいならレンタカーやタクシーを使ったほうが安く済むようです。というわけで、15年ほど経った車ですが、なんと無料で譲っていただけることになりました。
妻は帰国後ほとんど運転していなかったので、念のため一度試乗させていただきました。輸入車なのでウインカーレバーがハンドルの左についているのですが、私たちがスコットランドで乗っていた車(日産車)もそうだったので、むしろそちらのほうが慣れていてよかったです。15年経っているとは思えないぐらい傷もなく内装も外装もきれいなままでした。
---
さて、このような場合は、自動車の名義変更が必要となります。正式には移転登録というそうです。譲っていただくので当然すべての手続きは私が行いました。代行業者もあるそうですが、ネットを見ても「それほど難しくない」と書かれているところが多いので、やってみることにしました。手順は、
1. 受渡日を決める
2. 駐車場を契約する
3. 自動車保管場所証明書の取得
4. 任意保険の加入
5. 車を受け取る
6. 移転登録
7. 自賠責保険の名義変更です。譲る人(今回の場合、職場の方)を譲渡人、譲ってもらう人を譲受人(今回の場合は私)と言いますが、移転登録にはいずれにも書類の準備が必要です。受渡日を決めたら、先方には氏名、住所、実印だけ記入してもらえば済むように書類の様式などを準備をしました。
[譲渡人]
・譲渡証明書(車名、型式、車台番号、原動機の型式、氏名、住所、実印)
・委任状(車台番号、氏名、住所、実印)
・印鑑証明書(発行後三ヶ月以内)
・車検証[譲受人]
・申請書(自動車検査登録事務所で記入)
・手数料納付書(自動車検査登録事務所で手数料納付してもらう)
・譲渡人からもらった譲渡証明書に氏名、住所を記入
・印鑑証明書(発行後三ヶ月以内)
・自動車保管場所証明書
私が用意する書類のうち、面倒なのは最後の自動車保管場所証明書(俗に言う車庫証明)です。駐車場を契約したら、所轄の警察署で保管場所証明書を発行してもらう必要があります。これには、
自動車保管場所証明申請書
保管場所標章交付申請書
保管場所の所在図・配置図
保管場所使用承諾証明書
使用の本拠の位置が確認できるもの(運転免許証でOK)
が必要です。所在図や使用承諾証明書はマンションの管理人さんにお願いすればすぐに発行してもらえました。申請書は警察署で一式もらえました。朝の警察署でしばらく書類を記入していると、ちょうど異動の時期だったのかそれぞれの窓口でお巡りさんが挨拶してて面白かったです。書類を提出したら申請手数料を支払うように言われ、会計窓口へ。支払いの領収書を元の窓口に提出して完了。2~3日かかるようでした。
この手続きをすると、この車台番号の自動車の保管場所はここです、という証明書と自動車に貼り付ける標章を交付してくれます。受け取るときに標章交付手数料というのがかかります。この車庫証明というのが有効期限1ヶ月となっているので、移転登録に行く日の1ヶ月前以前には取得しても意味ないので、タイミングがなかなか難しかったです。
書類は順調に揃ったので、任意保険の契約をしました。これは車を受け取る当日の朝から有効になるようにしておく必要があったので、数日後に移転登録でナンバーが変わっても問題ないことを確認しました。私も妻も日本で自動車保険に加入したことがなかったので、等級も最初からというわけで、意外と高かったです。無事故でいければこれがだんだん安くなるはず。
---
譲っていただいた当日は休日で、ご自宅までうかがって、車を引き取りました。久しぶりの運転で慣れない車だったので、高速は使わずに下道で帰りました。
数日後に仕事を休んで管轄の自動車検査登録事務所に運転していき、移転登録をしました。コロナが流行り始めていましたが事務所にはそれなりの人がいました。ほとんどがつなぎや制服を着た整備工場やディーラーの関係者のようでした。ごく一部明らかに反社の人がいて、窓口でなにやら担当者をどなりつけていました。整理券をもらって、移転登録の申請書に記入して窓口に提出すると、手数料を支払ってくるように言われました。ここで自動車税の名義も自動的に変えてくれるようでした。支払い窓口は別の建物にあり、そこで手数料を支払って戻ると、新しい車検証が出来上がっていました。
車検証を持ってナンバープレートの受け渡し窓口に行くと、まず古いナンバープレートを外してくるように言われました。建物の外壁にドライバーがたくさん吊るされていて、これでナンバープレートを外します。リアのプレートには片方のビスに封印がしてあるので、これはドライバーで破壊して取り外す必要があります。外したプレートを窓口に持っていくと、新しいプレートをもらえました。
これをまた車に取り付けていると検査員の人が近づいてきて、ボンネットを開けてください、と言われました。これはエンジンルーム内に刻印されている車台番号を確認するためですが、どうやって開けるかわからずあたふたしていると検査員のおじさんがレバーを見つけて開けてくれました。OKが出れば、リアのプレートのビスを封印してくれます。これで移転登録は完了です。
---
そのままの流れでETC車載器の再セットアップもしました。ETC車載器には車のナンバーが登録されているため、移転登録だけでも再セットアップが必要です。これは最寄りのオートバックスにアポ無しで行ってお願いするだけで30分ぐらいで済みました。
さらに、そのまま自賠責保険の名義変更にも行きました。自賠責保険は損保ジャパンだったので、最寄りの支社(営業所ではできないらしい)に行き、新しい車検証を提示して変更してもらいました。これも30分ぐらいで済みました。
---
以上ですべての事務手続きが完了しました。なかなか面倒でしたが、自動車にまつわる色々な制度を理解することができたし、管轄の運輸支局も見ることができたので良かったです。古めの輸入車ということで整備コストが嵩んでいくだろうとは思いますが、やはり車があると雨の日やちょっとした旅行など便利だなーと思うことも多いので、頑張って維持していこうと思います。ちなみに早速右の前をこすりましたorz
]]>
引っ越し手続き
http://roomg.exblog.jp/24596692/
2016-08-15T00:00:00+09:00
2016-09-09T18:32:22+09:00
2016-08-15T18:54:46+09:00
genta_ito
日記
転出証明書をもらうのは簡単にできましたが、国保をやめる手続きと、同時に小児医療証の返却と、児童手当の手続きがありました。児童手当については、新しい職場からの保険証を提出できていなかったので保留となっていて、手続きは特に必要ありませんでした。そういえば、小児医療証は必要ないかと思っていましたが、短期間でも意外と活躍してくれました。
7/14の朝には、前日風呂に入らずに寝てしまった娘をシャワーを浴びさせようとしていました。妻がぐずぐずしている娘の腕を引っ張って起こそうとしたときに、手首をおさえて娘が泣き出しました。
単にぐずっているにしては泣き止まないし、腕を動かそうとすると痛がって泣くので、これは何かおかしい、もしかしたら手首が脱臼したかも?ということで、急いでタクシーを呼んで、駅前の小児科に行きました。脱臼したかも、といったところ、それなら2階の整形外科に行ってくださいと言われ、たまたま上の階にあった整形外科へ。
整形外科ではすぐに診てもらえて、お医者さんは見た瞬間に、娘に「こうすると痛い?これも痛い?」と聞き、何やらぐいっと肘をねじって直してくれました。そのあと、「これは手首じゃないんですよ。肘内障と言って、肘の亜脱臼なんです。子どもによくあるんですけど、これは100%親が悪いんです。気をつけてくださいね」と怒られました…。絵を描いて説明してくれ、不用意に腕を引っ張ると前腕の橈骨が肘の靭帯から抜けてしまうから、気をつけるように注意されました。今後は気をつけようと思います。
あとは、長女は乾燥肌で、以前から日本の皮膚科でもらった保湿剤などを使っていたのですが、夏場の汗で頭や身体がかゆくなるようだったので、皮膚科にも連れていきました。国保は加入期間が2週間と短かったので、保険料は必要ない、とのことでした。働き始めた日から職場の組合の保険に入っているはずですが、1か月経ってようやく保険証をもらいました。
保険証のコピーを区役所の担当課宛に送ったところ、すぐに乳幼児医療証が送られてきました!児童手当についても後日認定通知が送られてきました。
]]>
本帰国
http://roomg.exblog.jp/24556063/
2016-07-17T00:00:00+09:00
2016-08-08T12:49:49+09:00
2016-07-27T14:56:16+09:00
genta_ito
日記
6/30(木)
退職しました。前日にラボで送別会を開いてくれ、この日は最後の実験をしました。「最終日にする実験はうまくいくものだ」とボスに言われましたが、その通りうまくいって、次のプロジェクトの道筋をつけて去ることができて良かったです。
7/1(金)
怒涛の荷造り開始。ダンディーに来たときには6ヶ月の娘がいるだけだったので、荷造りも問題なく進めることができましたが、3年たって、3歳半と3ヶ月の娘たちがいると、日中はどちらか片方しか作業ができないので、あんまり進んでいる気がしなくて焦りました。娘のおもちゃも最後は容赦なく梱包しました。
7/4(月)
家に住みながらだと片づけが終わらないので、この日から近くにあるGrampian HotelというB&Bに泊まりました。4ベッドのファミリールームはとても広く、スーツケースを3個広げても大丈夫でした。オーナーも感じが良いおばさんで、なかなか良いB&Bでした。B&BはBed & Breakfastという名前の通り、朝食しか出ないので、夕飯は娘のお気に入りのホテルに入っているTable Tableというレストランに行きました。
7/5(火)
この日は船便を搬出しました。欧州ヤマトから日本人の作業員が2人来てくださり、あっと言う間に搬出完了。娘はクロネコヤマトの配送トラックのミニカーをもらってご機嫌でした。あとは、ダンディーの日本人の方々に、家具やら電化製品やらを取りにきてもらったり届けたりしました。フラットの掃除もだいたい終わらせました。
イギリスの郵便局からはSAL便が遅れないことが、郵便局に行ってから判明したので、それなら航空便もヤマトに頼めば、重い荷物を郵便局まで運ぶ必要もなく、もしかしたらもっと安かったのかなーと今は思います…。
この日の夕飯はマクドナルド!
7/6(水)
フラットの掃除を全て終わらせ、家で不動産屋を待ちぼうけ。そのままB&Bに戻り、シティセンターにある娘のお気に入りの中華ファミレスに最後の夕飯を食べにいきました。
そのあと、車を友人に渡し、歩いてB&Bに戻りました。
7/7(木)~7/8(金)
ダンディー最終日!午後2時に空港へのタクシーが迎えにきてくれる予定だったので、午前中にパッキング。体重計も持ち込んで、23kg以下におさめました。前日に車を譲った友人一家が遊びに来てくれました。
午後2時にタクシーが来て、いざ空港へ。研究所お抱えの運転手さんで、空港でもチェックインカウンターまで荷物を運ぶのを手伝ってくれました。持っていたスコットランドポンド札をチップがわりに全部渡してお別れ(日本では日本円に両替できないので…)。新しいプラスチックの5ポンド札1枚だけ、珍しかったので取っておきました。
チェックインは問題なく完了し、セキュリティチェックへ。パリやブリュッセル、イスタンブールのテロの影響だと思いますが、火薬の反応を調べる検査を結構厳重にやっていました。
ゲートに到着したらすぐに搭乗時間になり、飛行機に乗りました。長女は既にだいぶ飛行機に乗り慣れていますが、2歳直前に乗った前回よりも成長したのか、一人で席に座ってシートベルトをして、耳が痛くなったら水を飲んで、お利口さんでした。次女も泣き叫ぶようなこともなく、まずは落ち着いたフライトでした。
午後4時50分発、定刻通りパリシャルルドゴール空港に到着しました。乗り継ぎは同じターミナルだったので楽でしたが、セキュリティチェックはさすがに結構厳しくなっていて、ノートパソコンやら外付けハードディスクやらを満載したスーツケースは、「X線でもよく見えないからハードディスクは出してくれ」と言われ、再検査されました。
CDG経由で帰国するのは3回目なので、だいぶ見慣れた感じでした。まずはフードコートに行って夕食を食べました。ここではカードが使えず、10数ユーロの会計に対して「現金は5ユーロ札と5ポンド札しかない。日本円ならある」と言ったら、「日本円はダメ。5ユーロと5ポンドでいい」と言われました笑 なので、かっこいいプラスチックのお札はここで手放しました…。
食事を済ませても搭乗開始までだいぶ時間があったので、ゲートのそばのプレイエリアで娘を遊ばせたりしました。ゲートにあるテレビでは、サッカーのEURO2016のフランス対ドイツの中継をやっていました。私たちは以前から理由もなくドイツ代表を応援しているのですが、フランスでは当然フランスを応援する人が多いようで、得点シーンではあちこちから歓声があがっていました。
この日は七夕だったので、羽田行きのエールフランスのゲートでは係員が浴衣を着ていて、搭乗客が願い事を短冊に書いて笹に飾るイベントをやっていました。
飛行機は定刻通りパリ時間夜11時半に出発しました。長女はすぐに寝るだろうと思っていましたが、座席についているゲームが予想以上に楽しかったようで、4時間ぐらい食事したり遊んだりしていました。そのうち寝たようですが、座ったまま寝るのは難しかったようですぐに起きてしまいました。
次女のためにエコノミークラス最前列のバシネット席をとっていたのですが、バシネット席ではモニターがひじ掛けの中に収納されるので、後ろの席と違ってひじ掛けが上がりません。乗る前は、娘が寝たらひじ掛けを上げて、横にならせてあげればいいか、と思っていたのですが、目論見がはずれ、結局ずっと抱っこで寝かせました。
寝心地は良くなかったはずですが、なんとか寝続けてくれて、運よくシートベルトサインも着陸直前まで点灯しませんでした。着陸時はさすがに席についてシートベルトをしないといけないので、寝不足で不機嫌でぎゃあぎゃあ喚く娘をなんとかなだめているうちに羽田空港に着きました。
羽田空港には妻の両親が大きなワンボックスバンをレンタルして迎えに来てくれました。まだ梅雨の真っただ中で、夕方だったのもあり、思っていたよりも暑くない印象でした。横浜の私の実家まで送ってもらい、ようやくひと休み。
7/9(土)、7/10(日)
今回はいつもの一時帰国と違って帰らなくていいので、焦って友達に会ったり買い物したりする必要がなく、気楽でした。なので、帰国して最初の週末は何もせず家でのんびりしていました。時差ボケが思ったよりもひどく、親も子供たちも早朝に目が覚め、両親が起きる午前6時まで待ってから朝食を食べるようにしていました。
日曜日は時差調整も兼ねて、日用品の買出しをしに行きました。スーパーの食品売り場で見るものすべてが魅力的で、色々余計なものまで買いました笑
7/11(月)
16日から仕事が始まるので、それまでには住む家の目途をつけておきたいということで、この日は不動産屋に行きました。SUUMOなどの不動産情報サイトで内覧の希望を出し、最初に返事があった王子駅前の不動産屋に行きました。
今回の家探しでは、長女の幼稚園がすでに決まっていたので、私の職場まで自転車で通える範囲というと、それほど候補はありませんでした。それでも挙がってきた物件の内覧を申し込んだところ、不動産屋のほうで似たような条件の物件を見つけてくれていました。
それらの中から、4件を選んで内覧しました。長女は時差ボケの寝不足で終始不機嫌でしたが、途中で寝てくれたので楽になりました。しかし、暑い中を二人の子供を連れて内覧するのは体力的にかなりつらかったので、この4件のなかで決めてしまおう、ということになりました。
結局、2件目と4件目の物件で迷うことになりました。2件目は、広くて間取りもいいのですが、首都高の高架が目の前を通っていて、眺めは最悪なうえに窓を開けていられないぐらい騒音がひどい。4件目は、若干狭いのですが、高台に建っていて6階なので遮るものがなく、風通しが良いうえに眺めも良い、家賃も2件目より1万円安い。ということで、4件目にしました。家賃は交渉したところさらに5000円も下げてくれました。
7/12(火)
再度、私だけで不動産屋に行き、申込書を出しました。そのあと、物件に行って部屋のサイズを実測したり、管理会社のおばちゃんにご挨拶したりしました。
契約には住民票が必要だと言われたのですが、私たちは海外転出時に住民登録を抹消しているので、どこにも住民票がありませんでした。なので、まずは実家のある横浜市に住民登録をすることにしました。これには全員分のパスポート(帰国印が必要)、戸籍謄本、戸籍の附票全員分が必要でした。
なので、帰りに戸籍のある荒川区役所に行って、戸籍謄本と附票をもらってきました。
7/13(水)
姉が子どもたちを連れて遊びにきました。姉の長女とうちの長女は学年はひとつ違うものの、3ヶ月しか違わないのでほぼ同い年です。久しぶりに会ういとこ同士でしたが、なかなか打ち解けるには至らず、お互いおもちゃを取られないように警戒して終わりました笑
そのあと、姉が区役所に行くというので、一緒に行って住民登録をしました。国保と小児医療証の申請、児童手当の申請も同時にしました。その間、妻と娘たちは近くの図書館に行っていました。日本語の絵本が大量にあって、長女はご満悦で何冊か借りてきました。
7/14(木)
新居で必要な家電を買いに川崎のビックカメラに行きました。冷蔵庫、洗濯機、掃除機、炊飯器、電子レンジをお買い上げ。浄水器をプレゼントというキャンペーンに乗っかって浄水器をもらい、ついでに妻の携帯電話とインターネットの契約もしてきました。全部いっぺんに終わって助かりましたが、予想外に長時間の買い物になったので、店員さんと話をしている最中に次女がうんちを漏らして大騒ぎでした笑
7/15(金)
父に印鑑登録証を借り、駅前の出張所で印鑑証明書を取り、そのまま不動産屋と管理会社に行って、賃貸契約をしました。
7/16(土)
初出勤日。昼頃に来てくれとのことだったので12時半ごろに行って、スタッフでランチ。色々積もる話など。そのあと、医学部の元ボスのところを訪れ、色々積もる話など。どちらのラボもスタッフは全員知っているし、学生も何人かは知っている人がいて、ラボそのものも設計段階から携わっているので、仕事がしやすくていいなーと思いました。
7/17(日)
ダイニングテーブルとカーテンを買いに行きました。この日は妻の誕生日&7回目の結婚記念日でした。親がケーキを買ってくれたので、家でささやかにお祝いしました。
---
そんな感じで、徐々に日本での日常を取り戻しつつあります。まだ梅雨が明けていないので意外と朝晩涼しいのが救いです。7/23(土)には新居に引っ越し、ついに日本での生活が始まった感じです。普通に暮らしていた状態からの引っ越しと違って、3年前の荷物や家具を使える状態にするところから始まるので、結構大変でした。
今後は、長女の幼稚園が始まる前の8月中に生活を安定させていけたらなーと思っています。長らく会っていなかった友人たちともキャッチアップしなければ。
]]>
帰国手続き
http://roomg.exblog.jp/24414299/
2016-07-08T00:00:00+09:00
2016-08-04T14:30:03+09:00
2016-05-28T03:09:36+09:00
genta_ito
帰国準備
荷物整理
日本から来た時と違って、とりあえずいらない物を実家に送るってことができないので、選択肢としては(A)捨てる、(B)誰かに譲渡する、(C)持って帰る、です。(A)は最終手段。
(B)はインターネットの個人売買サイトGumtreeで売ったものもあれば、ダンディー在住の日本人の方々に引き取ってもらったものもあります。あとは、赤十字や心臓財団などが家具などを無料で引き取ってくれるサービスもあって、ベッドマットレスはこれを利用しました。お金にはなりませんが、寄付したものはチャリティーショップで販売され、売り上げの一部は疾患研究などの資金になるので、社会貢献にはなります。結構便利かつ有意義だと思いますが、日本でもこういうシステムってあるのかな?
(C)には、(1)船便で2~3ヶ月かけて送る、(2)SAL便で3週間ぐらいで送る、(3)手荷物で持って帰る、の3択があります。船便はロンドンに拠点がある欧州ヤマトにお願いしました。こっちに来て増えたものと言えば、娘のおもちゃが大半ですが、帰ってから何もおもちゃがないとかわいそうなので、お気に入りのもの数点を手荷物で持って帰り、さらにいくつかをSAL便で送り、大きいものは船便で送ることにしました。案の定片づけるのを嫌がって最後の最後になりました。。
帰国前々日に、SAL便を出そうと郵便局に持っていきました。結局ミカン箱サイズが4箱でトータル50kgにもなりました…。Perth Roadにある郵便局に持っていって、「大きな荷物を4個送りたい」と言ったところ、「別の会社にできない?」といきなり言う窓口のおばちゃん。「すぐ帰国だから色々やってる暇がない。送ってほしい」と粘って、「global expressなら1箱160ポンドぐらいかかるけど、まずは書類を揃えてから考えましょう」と箱の数だけ書類をくれました。
送り主、受取人、内容物などを記入し、窓口に持っていったところ、「ノートパソコン入ってるならバッテリーは抜かなきゃね」というので、その場で取り出しました。重さを測って、「トータル50kgならまとめて送れば550ポンドぐらいで送れる」ということで、俄然やる気になるおばちゃん。モチベーションのきっかけがわかりません笑 どうやらイギリスから送る場合にはSAL便というシステムはないようで、荷物の追跡ができて、しかも短期間で着くのはglobal expressというのが良いようです。
1週間ぐらいで着くと思うよーと言われ、郵便局を後にしました。後日、4箱のうち3箱はパリを経由して5日ほどで到着しました。しかし、なぜかFedExで送られてきました。もしかしたら、Parcelforce(ゆうパックみたいなもの)に空きがなかったからフェデックスに振り替えたのかもしれませんが、その過程で4箱まとめてのはずがばらばらになってしまったようです。そして、残りの1箱を追跡してみると、まだパリにありました…。
さらに2日ほどたって、最後の1箱が届きました。こちらはパリから中国を経由してきたようです。食器が入っている箱だったので不安でしたが、後日開封したところ、ダンディーでずっと使っていて気に入っていたマグカップと、向こうで人からもらった大きめのどんぶりのようなお皿が2枚とも割れていました。日本から持っていったお皿などは無事でした。
引越会社
来るときにお世話になったヤマト運輸に見積もりをお願いしたところ、2400ポンドとの回答。色々比べる時間もなかったので、ヤマトで即決。次女が産まれる前に連絡して、とりあえずダンボールだけ送ってもらいました。船便の搬出は7/5にしました。作業員の方々はロンドンから前日に北上し、前泊していたようです。引越当日は、日本人の作業員の方が2人来てくれました。さすが日本人!という仕事っぷりで、ヤマトに頼んで良かったーと思いました。
荷物の量から、実際に支払う金額は保険料込みで2330ポンドとなりました。帰国後、羽田空港の税関で別送品申告書を2通提出し、スタンプを押してもらいました。1通をJAL ABCカウンターというところに提出し、欧州ヤマトで30箱送ったので通関よろしく!という書類を出しました。引っ越し料金の振り込みを連絡したところ、船便は8月下旬に入港予定との連絡をもらいました。1ヶ月半ぐらいなので割と早めです。
不動産屋
2月ごろに不動産屋から「来年度、契約どうする?」とメールが来たので、「日本に帰るから更新しないことにした」と返事しました。直後に1回だけ内覧が来ましたが、その後音沙汰なく、もしかしたら一発OKだったのかもしれません。イギリスでの退去時の手続きなどまったく経験がなかったので、「カギ返すのはどうすればいい?」とメールしたところ、「退去前にフラットを一緒に見る必要がある」というので、帰国前日の午後4時に来てもらうことにしました。ところが、その担当者は4時を過ぎても現れませんでした。
オフィスに電話したところ、「今日は忙しくて行けなくなった。明日はどうか?」というので、「明日帰国するから無理。どうすればいい?」と聞いたところ、「オフィスはもうすぐクローズするけど、郵便受けに入れといてくれたら、来週の月曜あたりにチェックしに行くよ」とか笑 夕飯を食べに行く前に不動産屋によって、郵便受けにカギを入れておきました。
最初の契約時にデポジットとして600ポンドを預けてあるのですが、これについては法律で第三者機関に預けることになっています。退去後に、テナント側から返金を請求すると、不動産屋と大家さんが協議して、返金額を連絡してくるようです。納得できなければ、その第三者機関が調停してくれるらしいです。
というわけで、全額の返金を要求しました。8月に入って、600ポンドがきちんと振り込まれていました。
市役所
オンラインで手続きできるフォームがあるので、それに記入してとりあえず提出しておきました。この辺のIT化は日本よりずいぶん進んでいるようです。まあいい加減といえばいい加減ですが。そして、案の定音沙汰がないので、7月に入ってから直接電話して手続きしました。council taxは日割り計算で返金してくれるそうです。果たしてきちんと返金されるのかな?
電気・ガス
帰国直前に、Scottish Southern Energyに電話して解約。とても親切に応対してくれて感じが良かったです。水道は連絡の必要はありません。
電話・インターネット
こちらも帰国直前にBTに電話して解約。解約手数料がかかりましたが、こちらも親切に応対してくれました。
携帯電話
私も妻もThreeという業者の携帯を使っていたので、6月下旬のある日、シティセンターのお店を訪れて、解約したいといったところ、「電話じゃないとできないんだ」と言われ、撤退。7月に入ってから電話しました。無料で解約できる期間まであと2週間だぞ、と言われましたが、2週間後には帰国しているので…と解約してもらいました。
私のぶんと妻のぶんと2回電話しましたが、どちらもインド系英語を話す違う人が応対してくれました。日本に帰ると言ったところ、「母国で生活するのがベストだよね!でももしUKに帰ってきたらまた電話してね!」と言われました笑
TVライセンス
ライセンス料は、Direct Debitというシステムで年1回銀行口座から引き落とすようにしていたのですが、もういらないだろうと思ってキャンセルしたところ、「Direct Debitが無効になっているから、ちゃんと設定し直さないと場合によっては大変なことになる」的なメールがすぐに来ました。
オンラインフォームから「帰国するから解約したい」と連絡したところ、すぐに8月の契約更新はしない旨の連絡がきました。
GP
ちょうど次女の予防接種の通知が来ていたので、それを持って帰国前日にGPに行って、「日本に帰るからregistrationを抹消してほしい。予防接種もキャンセルしておいてほしい」と言って、おしまい。
免許証、自動車保険、AA
免許証については特に手続きはしませんでした。AAはTVライセンスと同じくDirect Debitを解約したところ、すぐに電話がかかってきたので、事情を説明しておしまい。
自動車保険は日系の保険会社だったので、日本語でメールして解約届を送ってもらい、記入して返送しました。後日銀行に残月分の保険料が振り込まれていました。
HMRC(税務署)
英国の会計年度は4月から始まります。2016年度は6月末までの3ヶ月ぶんしか収入を得ていないのに、年収3万ポンド以上を想定して所得税(Pay As You Earn)を源泉徴収されているので、税金還付の手続きをしました。
退職と同時に職場からP45 formという所得税の記録が送られてきます。申告書P85 formに記入して、P45 formを同封してtracked and signedで郵送しました。
8月に入って、指定の銀行口座にきちんと振り込まれていました。1000ポンド以上返ってきたので、これはやっておいてよかったと思いました。
]]>
国民投票
http://roomg.exblog.jp/24477548/
2016-06-24T08:00:00+09:00
2016-06-25T17:41:56+09:00
2016-06-23T02:40:25+09:00
genta_ito
ダンディー生活
せっかくイギリスに住んでいるので、概要をまとめておきます。
今回の国民投票で投票権があったのは、18歳以上でイギリス国内および英領ジブラルタル在住のイギリス市民、アイルランド市民、コモンウェルス市民です(「市民」は"citizen"の訳です)。イギリス国外在住のイギリス市民でも、イギリス国内の住所で過去15年に投票者登録をしたことがある場合には投票権があります。
投票は、"Should the United Kingdom remain a member of the European Union or leave the European Union?"(英国は欧州連合の一員として残留するべきか、欧州連合から離脱するべきか)という質問に対して、"Remain a member of the European Union"もしくは"Leave the European Union"を選択する方式です。
イギリス全体として見ると離脱派が勝ったわけですが、スコットランドでは全投票区で残留支持が上回り、スコットランド全体では62%が残留に投じました。対照的に、イングランド・ウェールズでは53%が離脱を支持しました。スコットランドとイングランドでは投票総数が10倍くらい違うので、スコットランドの残留支持票では焼け石に水だったという感じです。これを見ると、なんでスコットランドとイングランドが同じ国にいるんだろうかと思いますね…。
研究者はスコットランド、イングランドを問わず残留支持が多かったと思います。イングランドでも、学園都市で研究者が多く投票したと思われるケンブリッジ、オックスフォードなどでは残留支持が圧倒的に上回りました。EUからの学生やポスドクなどの人材や、試薬・機器の流動性が下がること、EUの研究資金に自由にアクセスできなくなること、などなど離脱に伴う問題は山積みです。
一方、イングランドで農業や漁業などを主要な産業とする多くの都市では、離脱支持が多数になったようです。原因として、EU内の東欧などから安い労働力(おまけによく働く)が単純労働市場に大量に流入してイギリス人の仕事を奪っているうえに、医療や学校などの公共サービスを麻痺させている、というのがあるようです。批判すべきはイギリス政府の無策のはずですが、この際ずっと気に食わなかったEUから抜けてやれ、という感じなんでしょうか。
スコットランドでなぜ残留が支持されたかは定かではないですが、前回のスコットランド独立を問う住民投票でも、独立派の主張のひとつとして、独立後にEUに加盟する、というのがあったので、もしかしたらイングランドと連合するぐらいなら大陸欧州と連合する、という感覚なのかもしれません。また地理的にも大陸から遠く、移民問題がそれほど深刻でないのかもしれません。今回の結果を受けて、イギリスがEUから離脱するのなら、スコットランドは再び独立を目指すという議論が真剣にされているので、将来的には「スコットランドは私が住んでいたころはイギリスだったんだけど…」ということになるのかも?
研究所のイギリス人は、朝ラボに行くと一様にショックを受けた様子でした。ただ直前のSNSなどの雰囲気から、離脱派が勝つ可能性は感じていたそうです。最近のイギリス議会の総選挙でも、離脱派がかなり票を取っていたのを思い出します。ラボにはドイツ、スペイン、ギリシャ、イタリア、フランス、ポーランド、クロアチアなどから多くの学生やポスドクが来ていますが、彼らもこの先どうなるんだろう、と不安そうでした。そもそもEU外からビザを取ってきている私たちは傍観者なわけですが、離脱派の勝利が確定してポンドが一気に下がったので、ポンド預金はしばらく塩漬けですかね…。あとは、大陸欧州から輸入している物が多いので、生活レベルにどのぐらい影響が出るか、によりますが。
離脱確定後のSNSでシェアされてくる大陸欧州から来ている人々のメッセージを見ると、「私たちはもはやUKで歓迎されていない」とかいう鬱っぽいのが多いです。もっと現実的に「次の契約更新は無理かも」とかもありますが…。ただ、イギリス政府は以前から、私たちのような合法的な移民ですら、特殊技能とか納税とかでイギリスによっぽど貢献できる奴は入ってきてもいい、そういう奴は金は持ってるだろうから手数料は高めにしておく、という姿勢なので、大陸欧州の人たちが「イギリスは変わってしまった」と思うとすれば、それはなんか違うなー、と思います。まあとばっちりに近いような感じで、歴史的にも地理的にも民族的にも近い存在から拒否されるのはショックなのかもしれませんが。
さて、離脱決定を受けて、イギリス政府は2年かけてEUと離脱の協定を作るそうです。キャメロン首相は10月に辞任するそうですが、後任選びどうするのかなーと思います。日本から興味深く見守ろうと思います。]]>
車検など
http://roomg.exblog.jp/24474534/
2016-06-20T08:00:00+09:00
2016-06-25T17:42:55+09:00
2016-06-21T20:29:22+09:00
genta_ito
ダンディー生活
作業は1時間半ぐらいで終わるとのことだったので、そばのカフェでお茶しながら待っていたところ、「無料の点検をしたところ、フロントのコイルサスペンションが両方折れてるから交換しないとダメ」とのメッセージが。
急いでディーラーに戻って話を聞いたところ、交換用の部品は持っていないそうで、月曜日まで車を預かることになる、と言われました。月曜日にはいつものディーラーで車検と定期整備の予定だったので、ありがたくお断りして帰りました。
イギリスのJAFみたいな組織であるAAが発表するところによると、このコイルサスペンションの破損は最近激増しているそうで、原因としては車を軽くするために弱いバネを使うようになっていることと、冬季に道路にまかれる塩による腐食が考えられるそうです。うーむ。
6/20(月)
そんなわけで、朝10時、いつものディーラーに車を預けました。日産ディーラーからの報告書も提出しておきました。「まあコイルスプリング両方折れてるなら今日じゅうは無理だと思うよー」と言われました。
この日も休暇をとっていたのですが、とりあえずやることがあったので仕事にいって、昼すぎに帰ってきました。午後3時半ごろ、ディーラーから電話があり、「全部直ったから取りにおいで」とのこと。素晴らしい。日産車なのに部品がないとか言っていた日産ディーラーとは大違い。
行ってみると、確かにコイルスプリングは両方折れていたそうで、交換になっていました。あとは後輪のベアリングのへたりやリアワイパーの交換はそのうち必要かもね、と言われておしまい。20000マイルの整備+定期整備をあわせて400ポンド以上かかりました…。
この車は仲良しの友人一家に直接買ってもらうことになっているので、きちんとした状態で渡せるように3週間気をつけて乗らないと。最近全然洗車していませんでしたが、両方のディーラーで洗ってくれて笑、ピカピカになりました。
]]>
パスポートゲット!
http://roomg.exblog.jp/24414288/
2016-06-11T08:00:00+09:00
2016-06-20T07:25:28+09:00
2016-05-28T02:57:04+09:00
genta_ito
帰国準備
MenBワクチンは高い確率で発熱の副反応が出るらしく、接種前に解熱剤パラセタモルを飲ませました。ほとんど吐き出していましたが…。接種後4時間後、8時間後にまた飲ませるように言われました。その日はエディンバラまで出かけたのですが、帰ってくると確かに発熱していて、38℃ぐらいあったので、カルポールを飲ませました。
予防接種が終わってから、一旦家に帰って昼食を食べ、2時ごろエディンバラに向かいました。目的は次女のパスポート申請です。乳児とか関係なく、本人が総領事館に出頭して申請しないといけないのが若干不便ですが、まあしょうがないですね…。でも顔写真を本人の顔と照合したりはしませんでした。次女は授乳してました笑
空港そばのPark & Rideに到着したのが3時すぎで、そこから路面電車に乗って、総領事館のあるWest Endへ。駅からは歩いて5分ぐらいです。総領事館では、あらかじめダウンロードして記入しておいたパスポート申請書に写真を添えて提出しました。両親のパスポートもチェックされました。受領も原則として本人でないとできないのですが、乳児であることと今回家族全員で出向いたので、受け取りは親だけでも良いと言われました。窓口の人はずっと同じ人なのですが、次女の出生届などに関して時々メールで質問したりしていたので、覚えてくれているのかもしれません。
カフェで少し休憩してから、また路面電車に乗ってPark & Rideに戻りました。そこから車でダンディーに戻ったのですが、金曜の夕方ということもあって、フォース湾を渡るまで大渋滞でした。長女が退屈して「進んで!」「あと何分でつくの?」「おなかすいた!」とか言って、しまいには寝てしまったのがちょっとかわいそうでした。かわいそうだったのと、時間がすっかり遅くなってしまったので、夕飯はシティセンターにある長女のお気に入りの中華ファミレスに行きました。
6/10(金)
有給休暇をとって次女のパスポートを受け取りにエディンバラに行きました。午前中は長女の幼稚園があったので、帰ってきて昼ごはんを食べてから出発しました。
総領事館でパスポートを受け取り、申請料32ポンドを支払いました。これで無事に全員日本に帰れます!笑 もう少し遅ければ参院選の投票も総領事館でできたのですが、今回は7月7日の帰国直後に投票日があるので、日本で投票しようと思います。都知事選は残念ながら転入直後で選挙権がないので、今回は傍観するのみです。
そのあと、エディンバラ市内を歩けるのもこれで最後なので、街中を歩いたりカフェで休憩したりしました。
この日は、Edinburgh ParkにあるPremier Innに泊まりました。月がシンボルマークのホテルチェーンで、長女が「ムーンのホテル」と呼んでお気に入りのホテルだったので、最後に1泊しました。
6/13(土)
最後の最後で、ずっと行きたかった動物園Edinburgh Zooに行きました!イギリスで唯一パンダとコアラがいる動物園です。チケットを買う時に、パンダを見る時間を指定しないといけなくて、午後2時すぎの枠にしたところ、ペンギンの行進という大人気イベントにかぶっていました…。
ペリカン、フラミンゴなどの珍しい鳥や、チンパンジー、ライオン、トラ、サイ、シマウマなどメジャーだけどなかなか見られない動物がいて、パンダ・コアラ以外も面白かったです。動物園は丘の上に作られていて、入り口からひたすら丘を登らないといけないのが大変でしたが…。
パンダは繁殖中のようで、ガラス張りの部屋の中で笹を食べているのを解説付きで眺めておしまい。パンダは中国から貸してもらうわけですが、日本の動物園ではあまり中国っぽさを強調した展示をしない気がしますが、エディンバラではかなり中国を強調していました。
そんな感じでだいぶ満喫してから、ダンディーに帰りました。水族館も動物園も、スコットランドにあるものより八景島や上野動物園のほうが立派かもしれませんが、長女にとっては良い経験になったと思います。
あとは仕事の残りを片付けて、荷造りして日本に帰るだけ!やること多すぎて気が遠くなりますが、気合いで3週間乗り切るしかない!]]>
戸籍謄本ゲット!
http://roomg.exblog.jp/24386607/
2016-05-17T05:53:58+09:00
2016-05-17T06:08:06+09:00
2016-05-17T06:08:06+09:00
genta_ito
ダンディー生活
3月末に総領事館に次女の出生届を提出し、4月最終週までには戸籍に載るはずとのことだったので、実家の母に頼んで本籍地の役所で戸籍謄本を取ってもらいました。
確認のためすぐにスキャンして送ってもらったところ、きちんと載っていました!出生地は「英国ダンディー市」、受理者は「在エディンバラ総領事」となっていました。なんかかっこいい…。
取り急ぎEMSで郵送してもらい、5日かかって今日届きました!戸籍謄本を見ると、改めて4人家族になったなぁと感慨深いです。
さて、帰国までに必要な最後のステップは、パスポートです。これは本人(つまり次女)が総領事館に出頭して申請し、一週間ほどで完成したパスポートを受理する必要があるので、平日にエディンバラに2回行かないといけないのが難点です。受理は最悪帰国直前でもいいので、とりあえず今週にでも仕事を抜けて申請に行こうと思います。]]>
出生届
http://roomg.exblog.jp/24262757/
2016-03-30T08:00:25+09:00
2016-04-07T01:53:54+09:00
2016-03-30T19:52:32+09:00
genta_ito
ダンディー生活
私たちの場合は、在エディンバラ総領事館に提出するか、本籍地の区役所に提出するか、です。総領事館に提出する場合には、戸籍に載るまでに2〜3ヶ月かかるのに対し、本籍地に提出する場合には、遅くとも一週間程度で戸籍に載ります。
私たちは7月に日本に帰るので、それまでに次女のパスポートが必要です。なので、両親に出生届その他を送って、直接区役所に出してもらおうと考えていました。
総領事館に尋ねたところ、4月初旬に出生届をまとめて日本に送るので、それまでに総領事館宛に提出すれば、4月下旬には戸籍に載るだろうとのことでした。それなら十分なので、急いで書類をまとめて総領事館に送りました。
送ったのは、
出生届2部
Birth certificate原本2部
Birth certificate翻訳2部
両親のパスポートコピー1部ずつ
両親のビザコピー1部ずつ
出生届チェックシート1部
本当はこれに、生まれた病院の住所がわかるウェブサイトのプリントアウトやパンフレットを添付しないといけないのですが、birth certificateに記載されたナインウェルズ病院の郵便番号が古いものらしく、現在の公式のものと異なるので、総領事館にある病院年鑑のコピーを添付してもらうことになりました。住所が違うと戸籍への記載がスムーズにいかない可能性があるので、ここは総領事館の方に相談して万全を期しました。
3/29に郵便局からspecial deliveryで発送し、3/30に受領確認の連絡を総領事館から頂きました。
次のステップは、5月に入ったら次女が戸籍に記載されたのを日本にいる両親に確認してもらって、戸籍謄本を郵送してもらうことです。]]>
birth registration
http://roomg.exblog.jp/24242562/
2016-03-28T08:00:58+09:00
2016-03-30T06:59:00+09:00
2016-03-23T02:29:32+09:00
genta_ito
ダンディー生活
3/21(月)
次女が産まれてから初めての平日に、市役所のRegistrar officeに電話をしてアポイントを取りました。翌週の月曜日の9時半に来てくれと言われました。
3/28(月)
朝9時半にシティセンターにあるRegistrar officeへ。日本の役所の窓口のような感じのブースがいくつかあって、出生や死亡、婚姻の登記をする資格をもったRegistrarが何人かいました。
病院からもらったレターを提出して、赤ちゃんの名前、両親が結婚した日付、母親の名前や旧姓、誕生日などを聞かれ、コンピュータに入力したら手続き完了。パスポートとか証拠の書類は一切求められないので、わりと適当ですね…。ちなみに名前は姓、名ともにどう付けても良いそうです笑
簡易版のbirth certificateは無料で1部くれるのですが、出生届には完全版のbirth certificateが必要なので、念のため3部もらいました。1部10ポンドかかります。あとはGPに登録するための書類をもらいました。
というわけで、次女の出生がスコットランドで公式に記録されました!次は3ヶ月以内に日本に出生届を提出する必要があります。]]>
航空券の予約
http://roomg.exblog.jp/24242567/
2016-03-22T09:00:02+09:00
2016-03-23T08:03:22+09:00
2016-03-23T02:38:09+09:00
genta_ito
帰国準備
3月末に子どもが産まれる予定だったので、航空券の予約はそのあとかなーと思っていたのですが、Facebookのメッセージ機能でKLMに質問できることがわかり、尋ねてみたところ、3人ぶんだけ今予約して新生児のぶんはあとで追加することもできるとのことでした。なので、とりあえず3人ぶんだけ予約をとりました。
このメッセンジャーを使ったやりとりは24時間対応でかなりレスポンスが良く、電話よりも気軽なうえにとても親切なので、バシネットとか何か特殊な要望をしたいときにはオススメです。
そして、3/19に次女が誕生したので、早速メッセージを送ったところ、バシネット席の予約などを全てやってくれて、送られてきたリンクで支払いを済ませればいいだけでした。
4人ぶんの片道航空券で、約2000ポンドかかりましたが、飛行機の時間も乗り継ぎ時間も理想的で、しかも羽田に着くので、まあこんなもんかな、と。]]>
第2子出産
http://roomg.exblog.jp/24231776/
2016-03-19T09:00:00+09:00
2016-03-24T08:02:00+09:00
2016-03-19T02:32:10+09:00
genta_ito
子育て
追加の超音波検査2回目@ナインウェルズ病院。もう正規産に入ってるし、このスキャンが必要なのかどうかいまいちわからないまま、朝8時半に病院へ。超音波検査はいつも通りスムーズに進み、技師さんには「赤ちゃんはちゃんと成長している」と言われ、ひと安心。そのまま結果を持って、antenatal clinicへ。ここでお医者さんが結果を見てコメントしてくれます。
診察室に通されて助産師さんから伝えられたのは、「赤ちゃんは正常に成長しているが、羊水の量が下限ギリギリなので、ドクターは陣痛促進induction of labourによる出産をすすめている」ということでした。前回と同じく「正常だから帰っていいよー」というのを期待していた我々はしばし呆然。予定日まであと2週間なのに促進剤を使わなきゃいけない理由がわかりませんでした。
動揺する妻の通訳をしつつ、なぜ陣痛促進が必要なのか詳しい説明をお願いしました。すると、3週間前のスキャンから羊水量がだいぶ減っていて、いまや正常値の下限に達しているので、このまま減り続けると赤ちゃんが危険かもしれない。来週の月曜日まで待って、もう1回スキャンしてもいいけど、そのとき羊水量が下限を下回っていたら、緊急帝王切開になるかもしれない。それよりは、なるべく早く陣痛を誘発して、自然に分娩したほうがいいと思う、ということでした。
「ちょっと考えてみてね」と陣痛促進に関する小冊子を置いて、助産師さんは部屋を出ていきました。私たちの頭には、「もうちょっと待てば自然に陣痛が来るんじゃないのか」「でも待ったら赤ちゃんが危ないかもしれない」などがぐるぐるしていました。お医者さんが「こうしなさい」というのではなく、全部こちらで決めさせてくれるので最終的には良いのですが、なかなか簡単に決められることじゃないですね…。
助産師さんが戻ってきたので、なるべく自然に出産したいということを伝えたところ、今から手で子宮を刺激してみて、陣痛が誘発されるか試してみようか、とのことでした。membrane sweepと言っていたのですが、子宮口に指を入れて、羊膜を子宮から剥離することのようです。こうすることで、ホルモンの分泌が促され、陣痛が誘発されることがあるそうです。妻いわく、ものすごく痛かったらしいですが…。子宮口はすでに1~2センチ開いていて、赤ちゃんの頭もよく下がってきているとのことでした。
促進剤を使う日については、なるべく早く陣痛を誘発させたほうがいいとのことで、最も早い日程をチェックしてくれたのですが、日曜日の夕方に来てくださいと言われました。私たちのリアクションは「2日後か…」でした。まずはProstinというホルモン剤の膣錠で陣痛の誘発を24時間試みるそうです。この間は妻は病院に入院している必要があります。それでも陣痛が来なかったら、人工的に破水させてみて、それでも来なかったらホルモン剤の点滴になるとのことでした。出産を経験しているので、すぐに陣痛来ると思うよ、とのことでしたが…。
水中出産を希望しているんだけど、と言ったところ、破水させる前に陣痛が誘発されれば、そのままmidwifery unitに移って出産できるよ、と教えてくれました。なので、最初の24時間に陣痛が来ることを祈るしかないようです。「fingers crossed!」と診察室を送り出されました。
そんなわけで、家族3人で過ごすのは最後の週末になりそうだったので、夕食はシティセンターにある娘のお気に入りの中華ファミレスに行きました。家に帰ってきて、いつも通り寝ようとしたところ、夜11時頃に妻が「周期的にお腹が張っている」と言い出しました。まあ前駆陣痛かもね、と言いながら寝たものの、午前1時半頃には規則的な痛み=陣痛に変わったようで、間隔も3〜5分と短く、これは間違いなく陣痛がきている、ということになりました。
3/19(土)
陣痛が始まったときは、まずMaternity Triageという24時間対応している番号に電話して、指示を仰ぐことになっていました。午前2時ごろに電話したところ、妻と話したいと言われ、電話を替わりました。まだ家で待機しろと言われると思っていたのですが、意外にも「すぐ来ていい」ということでした。熟睡している娘に靴下をはかせ、用意してあった入院セットと娘のお泊りセットを持って出発。まずは、日本人のご一家のところに寄って、娘を預けました。ちょっと目を覚ましたのですが、泣くかと思いきやにっこり笑って手を振ってくれたので、ひと安心。前もって心の準備をさせておいたのがよかったようです。
それからナインウェルズ病院にあるDundee Midwifery Unit(DMU)へ。午前3時ごろ到着。病院の駐車場とは違うところに車を停めないといけないのですが、事前に練習した成果もあって、スムーズにたどり着けました。すぐに当直の助産師さんが診察してくれて、子宮口はまだ2センチしか開いていないので、帰りたければ帰ってもいいけど、二人目だから一気に陣痛が進む可能性もあるね、と言われました。私たちとしては、また帰って戻ってくるのも大変そうだったので、DMUにいさせてもらうことにしました。事前に聞いていた話から、ぎりぎりまで分娩室には入れないような印象をもっていたのですが、私たち以外には1人さっき出産が終わった人がいるだけだということで、比較的空いているのもあったのかもしれません。
日本の産院でよくある陣痛室、分娩室のような区別はなく、Birth Roomという部屋に最初から最後までずっといます。かなり広い部屋で、バランスボールや椅子、ベッドがあり、専用のバス・トイレ付きです。午前4時ごろ、Birth Roomに入りました。まずは「お茶かコーヒーでもいかが?」と聞かれました笑 とりあえず水でいいと言うと、水とバナナとりんごを持ってきてくれました。このころは、陣痛はまだそれほど強くなく、3分間隔ぐらいでした。
1時間ごとに助産師さんが赤ちゃんの心音のチェックをしに来てくれました。長女のときには、お腹に巻くモニターのようなものを装着していましたが、こちらではそれを使うには産科医が常駐するLabour Suiteに行かないといけないとのことでした。羊水量が下限ギリギリということと、赤ちゃんの成長が不十分な可能性があるということで、助産師さんが産科医に水中出産できるか聞きにいってくれて、結果的にOKがでました。午前6時すぎ、だいぶ陣痛が強くなってきたころ、助産師さんが隣のBirth Roomにある水中出産用のプールにお湯をため始めてくれました。30分ぐらいでたまるとのことでした。
午前7時半ごろ、隣のBirth Roomに移動。妻は下半身は何も着ずに、上半身には水着の上を着てプールに入りました。着るものはなんでも良いそうで、全裸でもいいし、お気に入りのTシャツでもいいし、という感じでした。プールと言っても直径2メートルぐらいの円形のお風呂みたいなもので、座ると首までお湯につかるぐらいのお湯がはられていました。水中でも使える携帯の心音モニターで、助産師さんが定期的に赤ちゃんの心音をモニターしてくれました。午前8時で当直のシフト交替だそうで、助産師さんが交替しましたが、以前の検査で来院したときに一回会ったことのある人で、なんとなく安心感がありました。
それからしばらくは、強い陣痛のあと2分おいて弱い陣痛、4分おいて強い陣痛、というサイクルを繰り返していました。痛み止めがわりに笑気ガスを使えるのですが、試せるものはなんでも試しておこうということで、使わせてもらいました。妻いわく、ふらふらするだけでほとんど意味がなかったそうです笑
午前8時半ごろ、プールに入って1時間ぐらい経ったころ、助産師さんに、「ずっとプールに入っているわけにもいかないから、11時半までに動きがなければ、一旦プールから出て、内診などでお産の進行をチェックさせてもらう」と言われました。3時間後ってなかなか微妙なところだな、と思いましたが、そこから妻の陣痛は一気に強くなり、そんな心配は全く不要でした。第一子の出産経験をもとに、いきみたくなるような陣痛がきても、しばらくはいきまずに逃さないといけないと思っていたのですが、助産師さんに「いきんでもいいんですか?」と聞いたところ、(あなたは何を言っているの?)という表情で、「いきみたくなったらいきんでください」と言われました笑
そこから必死にいきんだ妻。プールでは身体が浮いてしまうので、足が反対の壁に届かない妻は、力が入りにくそうでした。私は妻の頭側にいて、妻の頭が水に沈まないように支えていました。午前9時10分、頭の先端が出てくるのが見え、頭全部が出たと思ったらぐるっと回転して顔がこっちを向き、全身が一気に出てきました。水中で赤ちゃんは口をパクパクしていましたが、水から引き上げられると元気よく泣き出しました。へその緒もついたまま、助産師さんが赤ちゃんに毛糸の帽子をかぶせてくれ、冷えないように身体にタオルをかけた状態で妻に抱かせてくれました。小さいですが、元気な女の子でした!
しばらくしてから、へその緒に2か所クランプをして、その間を切ってくださいとハサミを渡されました。「太いへその緒だね!」と助産師さんに驚かれました。私がへその緒を切る、というのは事前に相談して決めてあったことで、貴重な体験ができました。助産師さんが、「スプラッシュしないように…」と言って手をかぶせてくれて、何のことかわからなかったのですが、ハサミを入れた瞬間に血がすごい勢いで飛び出て、私の顔や服にかかりました笑
赤ちゃんが小さい可能性があるから体重を測ってもいいか、と聞かれたのでもちろんOKしました。このように、生命維持に必要なこと以外は基本的に事前に許可を求めてくれます。体重は2510グラム。2500グラム以下の場合には追加の検査がいろいろ必要だったようで、「ぎりぎり大丈夫だったね!」と言われました。妻はへその緒の残りを垂らしたまま、プールから出てベッドに移動しました。結構出血していたので、部屋の至るところが血まみれになっていました。胎盤が出るのを促進する薬を太ももに筋肉注射してもらい、午前9時35分、胎盤が出ました。
色々なチェックをしてもらって、「身体は小さいけどとりあえずノーマルよ!おしりにあるのは蒙古斑かしら?」と言われつつ、赤ちゃんを妻に渡して、skin to skinのコミュニケーションの時間を作ってくれました。ここで初めて授乳することが結構重要らしいです。長女のときにはやらなかったなーと思いつつ、まあこれもいい経験でした。
午前11時ごろ、妻の会陰部の裂傷を縫うべく、向かいのBirth Roomに移動しました。こちらには、日本の分娩台のようなものがあって、その上で縫合しました。笑気ガスの吸入口が置いてあったので、まさか麻酔しないのか?と思って聞いたところ、「ちゃんと麻酔するから安心して」と言われました。実際、かなり念入りに麻酔の注射をしていたように思います。縫合も時間をかけてかなり丁寧にやっていました。そのおかげもあってか、今回は前回と比べて傷口の痛みはだいぶ軽いようです。
縫合完了後、車椅子に乗せられてpostnatal areaという4床の病室に移動。赤ちゃんも一緒に移動。まずは「ふたりともトーストでもいかが?お茶かコーヒーどちらがいい?」とのことで、ありがたくいただくことにしました。ただのバター付きトーストにジャムでしたが、妻はここで食べたトーストがとてもおいしく感じたそうです。赤ちゃんはもうずっと隣にいるので、泣けば授乳するし、いきなり子育て開始です。二人目ということもあってか、助産師さんも定期的に様子を見に来るものの、それほど手厚く指導したりはしないようでした。
午後1時ごろ、「ランチにサンドイッチいかが?トマト・チーズかターキーか」と聞きにきました。これはさすがに妻のぶんだけでしたが笑 昼食を持ってきてくれる間に、妻はシャワーを浴びにいきました。これもなかなか日本では考えられないことですが、実際妻は意識が遠のいてしばらく椅子に座っていたそうです。妻がシャワーを浴びている間に、「聴力検査をさせてもらってもいいですか?」と聞きにきたので、やってもらいました。これは、生後すぐに耳にイヤーピースを挿入して、そこから微弱な音を出して、内耳から反射して返ってくる音を検出することで、正常な聴覚を確認する検査らしいです。
赤ちゃんの左耳はOKでしたが、右耳は反応が悪く、3週間後にまた病院に来て再検査と言われました。この段階での再検査はよくあることだそうで、特に生まれた直後は耳管が粘液でふさがっていることがあるらしく、時間がたてば開通するので問題ない、と言われました。
そのうちにヘロヘロの妻が戻ってきたので、とりあえずお互いに休息をとろうということで、私はいったん家に帰りました。妻の血まみれの下着や水着を選択してから昼食を食べて1時間弱仮眠して、午後4時ごろ娘を迎えにいきました。初めて両親と離れて長時間過ごしてさすがに寂しかったようで、強がってなるべく普通にふるまってはいましたが、戸惑いが明らかに見えました。「夜もまたお泊まりして夕飯いっぱい食べる!」と言っていたので楽しかったのは間違いないようのですが。夜も熟睡しているところを起こされ、朝も早く起きてしまって眠気も限界だったようで、車で病院に戻る10分ぐらいの間に眠ってしまいました。
午後5時ごろ病室に戻り、長女を妻のベッドに寝かせました笑 「夕食にビーフシチューかcasseroleはいかが?」ときたので、ビーフシチューを頼みました。しばらくすると娘が目覚めて、妹との感動の対面。照れくささと恥ずかしさと好奇心と、色々な感情がぐるぐるしているのがよくわかりましたが、しばらくするとだいぶ慣れてきて、頭をなでてみたり、膝に抱っこしてみたり、楽しんでいました。
妻と次女は病院に一泊するか、と話していたのですが、予想以上に妻が元気なので、みんなで退院してしまおう!ということになりました。助産師さんに伝えたところ、退院前の検査ができる人が夜8時にならないと来ないので、それまで待てるか、と聞かれました。待てない場合には、翌日に病院に来てもいいということでしたが、それも面倒なので、8時まで待つことにしました。
結局、その検査が終わったのが9時ごろで、次女のbirth registration用の書類などをもらって、DMUをあとにしました。即日退院なんて信じられない!と思っていましたが、お産の具合と妊婦の体力次第では可能なようです。生後12時間の次女をチャイルドシートに寝かせ、おそるおそる運転しながら家に帰りました。レトルトカレーの夕飯を済ませ、夜11時ごろにはなんとか就寝。長かった一日がようやく終わりました。
そんなわけで、第二子が誕生しました!予定日よりは11日早かったですが、促進剤による出産は回避できたし、出生記録のdeliveryの欄にもspontaneousと書かれていたので、membrane sweepをしてくれた助産師さんに感謝したいと思います笑 二人の娘の父になり、責任もますます重大ですが、子どもがとてつもなくかわいいというのは長女で経験済みなので、楽しんで子育てしようと思います。長女と次女がどんな姉妹に育つのかも楽しみです。娘を預かってくださったKさんご一家にはとても感謝しています。それから、イギリスでの出産という大仕事を成し遂げた妻を誇りに思います。いまの職場では、産後は夫は2週間休みをとるのが当たり前、という雰囲気で、所長であるボスもまったく何の問題もなく休みを取らせてくれたので、ありがたく家事に専念しようと思います。
]]>
年始とインフルエンザ
http://roomg.exblog.jp/24067900/
2016-01-10T09:00:00+09:00
2016-02-15T09:03:44+09:00
2016-01-20T22:49:54+09:00
genta_ito
ダンディー生活
年始は1/6の水曜日まで休みを取っていて、木曜日と金曜日仕事したらまた週末!とか思っていたのですが、インフルエンザにかかり散々でした。
1/5(火)
この日は日中は何事もなく、妻の妊婦健診に付き添いで行ったりしていました。
夜中、娘が目覚めてしまい、なんだかとても機嫌が悪かったので、居間に連れていって、ソファで抱っこしていたところ、そのまま眠ってくれました。ただ、結構長い間暖房の止まった部屋にいたので、私の身体が完全に冷え切りました…
娘を寝かしつけたあとガタガタ震えながらしばらく眠れず、なんかおかしいなぁと思いながら眠りに落ちました。
1/6(水)
朝から発熱。といっても37℃台で、それほど高くなかったのですが、自覚症状はそれより重く、なにやら怪しい体調。
昼頃から熱が上がり始め、38.5℃を超えました。こうなると寒気と全身の痛みがひどく、布団にくるまっていてもどうにもならない感じでした。伝家の宝刀パラセタモル(解熱剤)も全く効かず、絶望的な気持ちになりました。翌日から仕事なので、とにかく熱を下げなければ、とひたすら寝続けました。娘の世話と家事は妻が全て引き受けてくれたので、私は回復に専念できてとても助かりました。
1/7(木)
遅ればせながらパラセタモルが効いてきたのか、朝起きると身体がやや軽く、熱も37℃台だったので、急いで出勤しました。朝にはイブプロフェンを追加。イブプロフェンもパラセタモルも4時間間隔でしか飲めませんが、パラセタモルの間にイブプロフェンという飲み方は大丈夫なので、最後の手段としてそれをやってみました。
それほど仕事の量はなかったので、ボスに断って昼過ぎに帰宅。熱をはかるとなんと36℃台。しかし、その後も薬が切れると38.5℃まで上がり、飲んでは下がるというのを繰り返しました。食欲はそれなりにあり、胃腸も大丈夫だったのが不幸中の幸いでした。
日本ならすぐに病院にいくところですが、GPというやつは本当に役立たずで、インフルエンザの検査なんか絶対にしないし、どうせパラセタモルとイブプロフェンをもらうだけなので、いきませんでした。NHSのウェブサイトにも、熱が一週間続くとか他に重篤な症状がなければ受診する必要はない、と明記されています。
そんな感じで、この日も妻に全てを任せてひたすら寝ました。
1/8(金)
仕事はできることがほとんどない状況だったので、ボスにメールして初めての病欠。熱は38.8℃まで上がりました。3日目なのでそろそろ下がるだろうと思っていましたが、全く下がらないまま1日が終わりました…。
1/9(土)
そろそろ熱にも慣れてきた4日目。パラセタモルだけでも平熱まで下がるようになってきたので、そろそろ治るかな?という期待と、週末で治らなかったらどうしようという焦りが入り混じっていました。
娘も相手をしてもらえなくて寂しかっただろうし、妻も身重の身体で娘の世話と家事をすべてこなすのは相当な負担だっただろうし、明日には治らないと家庭が崩壊してしまう、と思いました。
この日もひたすら寝続けました。夜には熱がだいぶ下がり、解熱剤も飲むのをやめました。
1/10(日)
朝起きると平熱まで下がっていました!解熱剤も12時間飲んでいないので、これで完治!とはいっても、喉からは出血してるし、咳は出るし、完治には程遠い感じ。それでも熱がないだけでだいぶ違います。
娘の世話も家事も多少はできるようになったのでひと安心。妻と娘にうつらないかが心配でしたが、ふたりとも妊婦と幼児向けの予防接種をしていたのもあってか、無事うつらずに済みました。
そんなわけで、確定診断はないのですが、たぶんインフルエンザにかかりました。10年ぶりくらいかなぁ。あとで調べてみたところ、健康な大人でも、街中の薬局にいけば有料で予防接種を受けられたらしく、受けとけばよかったと後悔。4日間身動きが取れないのは自分にも家族にも大きな負担がかかるので、今後は欠かさずに予防接種を受けることにします。]]>
マンチェスター旅行
http://roomg.exblog.jp/24067894/
2015-12-30T09:00:00+09:00
2016-02-16T06:10:48+09:00
2016-01-20T22:48:21+09:00
genta_ito
旅行・出張
スコットランドのメジャーな観光スポットはだいたい行きつくしたのと、冬場は寒いうえに日が短いので閉鎖している観光スポットも多いということで、ちょっと足を延ばしてイングランド北部にあるマンチェスターに行くことにしました。マンチェスターはサッカーのマンチェスター・ユナイテッドで日本でも有名ですが、イギリスでもトップ10に入る大都市です。ここにはレゴのテーマパークであるレゴランドがあって、いつか娘を連れていってあげたいと思っていたので、今回行ってみることにしました。
12/27(日)
この日は終日移動に費やすことにしていました。ダンディーからマンチェスターは、だいたい東京ー名古屋間に相当するぐらいの距離があるので、結構時間がかかりました。
10時半ごろに家を出て、パースとスターリングを経由して、途中休憩や運転を交替しながら、カーライルCarlisleに着いたのが午後2時くらいでした。ここはスコットランドとイングランドの境界の少しイングランド寄りにある街です。郊外にWalby Farm Parkという子ども向けの施設があり、屋内・屋外ともに遊び場が充実していて、動物に触ったりもできるとのことで、移動ばかりでは娘がかわいそうなので、ここで昼食をとりつつしばらく遊ぶことにしました。
日が沈む前に砂場や屋外のトランポリンなどで遊びつつ昼食を食べ、日が沈んでからは屋内のプレイエリアに移動して、大きな滑り台やアスレチックのようなもので遊びました。3~4時間しかいなかったと思いますが、それではもったいないくらい楽しめたと思います。
Walby farm parkを出発してさらに南下。休憩予定だったサービスエリアを通過してしまい、次のSAを目指そうにもガソリンがぎりぎりな感じだったので、Uターンして戻ったりしました笑 マンチェスターに着いてからも、高速の出口を間違えてあさっての方向に行って戻るハメになったり、大都会の洗礼を浴びました。
そんな感じで午後7時くらいにはホテルに着きました。交替で運転して、休憩もたくさんはさんだので、それほど疲れなかったような気もします。この日の夕飯はホテルのレストランで食べました。娘の大好きなホテルチェーンなので、喜んで泊まってくれるのがありがたいですが、興奮してなかなか寝ないのが難点です。
12/28(月)
マンチェスター旅行のメイン、レゴランドに行きました。Trafford Centreという巨大なショッピングモールの中にあるのですが、ホテルから車で5分ぐらいだったので、何かと便利でした。
すぐ近くにある水族館と両方入れる入場券をオンラインで買っておいたのですが、まず午前中はレゴランドへ。レゴで車を作って遊べるエリアや、アスレチック的なものもあり、丸1日いても子どもは飽きないだろうなぁという感じでした。
昼食もレゴランドのカフェで食べ、午後も少し遊んでから、水族館へ。スコットランドの水族館には必ずと言っていいほど、クモやヘビ、ミーアキャットなど、陸上の生物の展示があるのですが、マンチェスターの水族館には全くいませんでした笑 かわりに大きなアスレチックなどがあり、子どもが飽きないように工夫されていました。
水族館のあと、またレゴランドに戻ってしばらく遊びました。一度入場すれば、あとは出たり入ったりできるのも良かったです。
夕飯はトラフォードセンターのフードコートのようなところにあったTampopoという日本食レストランにしました。店員さんの対応がとても良かったのもありますが、料理もそれなりに日本食っぽく仕上がっていて感動しました。チェーン店ぽいので、ダンディーにも進出してこないかなー。
娘は遊び疲れて爆睡していたのですが、ホテルに戻ると目覚めたので、レストランで前日と同じものを頼んで部屋で食べました。
12/29(火)
マンチェスター2日目は、シティセンターをぶらぶらとしました。ホテルからSale Water Parkというトラムの駅まで車で行って、そこからトラムでシティセンターへ。Deansgateという駅で降りてました。
チャイナタウンで昼食を食べようと思っていたので、その方面に歩きつつ、途中にあったピータールーの虐殺の現場を見てきました。まあもう二度と来ないだろうし…。チャイナタウンまで30分ぐらい歩いたかな?娘はずっとベビーカーに乗ってくれて助かりました。
チャイナタウンはちゃんと門があって、結構立派でした。そこにあった中華スーパーマーケットを覗いてみましたが、ダンディーにあるのよりだいぶ品揃えが良かったです。
昼食はwasabiといういかにもな回転寿しレストラン。ですが、生魚は遠慮しておきました。娘は爆睡していたのでベビーカーに乗せたまま、大人だけ食事を済ませました。ラーメンらしきものを食べましたが、まあニセモノでした。味は悪くないので、日本食のアレンジと考えれば特に不満はないです。このレストランはあとでトイレだけ貸してくれたり、なかなか親切でした。
次の目的地は、マンチェスター大学内にある博物館でしたが、途中で娘が起きたのでマクドナルドで昼食を買って、移動しながら食べさせました…。博物館にはティラノサウルスの化石が展示されていて、恐竜の大きさを娘に実感してもらいたくて連れていきました。色々な動物の剥製があったりして、なかなか楽しめました。
最後に、大学のそばにあった中華スーパーマーケットに寄りました。とても大きな店で、品揃えも格段に良かったです。お正月用のゴボウとかを買いに行ったのですが、ついつい他にも色々買って帰りました。
そこから歩いてPiccadillyという駅まで行き、トラムで最初の駅に戻って、車でホテルに帰りました。かなり歩いたので疲れました。夕飯は前日と同じトラフォードセンターにあったWokooshiなる日本韓国レストラン。こちらはなぜか中華丸出しな感じで、まあそれなり、という感じです。
12/30(水)
2015年もあと2日、この日はひたすらダンディーを目指して北上しました。途中のカーライルで昼食と娘のストレス解消がてら、子どもの室内遊び場のようなところにいきました。結構大きな室内アスレチックにカフェが併設されていて、意外と楽しかったです。
娘は最近おむつがとれたのですが、高速道路を走っている途中で「おしっこ!」と言われるとなかなか困りますね。わりと余裕をもって教えてくれるので、漏れるようなことはなかったですが。
そんな感じでマンチェスターを満喫してきました。大人だけならサッカーのスタジアムを見に行くとか色々もっとあると思いますが、娘を楽しませることがメインだったので、大満足です。車で行くのはこのぐらいが限界かな、という感じではありましたが…。]]>
Stirling Castle
http://roomg.exblog.jp/23988484/
2015-11-29T00:00:00+09:00
2016-01-22T08:20:51+09:00
2015-12-24T01:06:21+09:00
genta_ito
旅行・出張
ダンディーからパースを経由して、A9経由でスターリングまで約1時間くらい。去年行ったウォレスモニュメントもスターリングにあるのですが、ついにお城の方にやってきました。駐車場は満車と書いてあったのですが、ダメもとで行ってみたところ普通に空いていました笑
タダですが事前に予約してあったチケットを見せて入場。日本語のパンフレットがありました!だいぶ遅くに到着したので、まずはカフェで昼食。なかなかいい感じのカフェでした。
そのあと城内をグルッと見て回りました。規模的にはエディンバラ城よりひとまわり小さいぐらいで、結構立派なお城でした。歴史的にもかなり古く、14世紀頃の建物が一部に現存しているそうです。19世紀にはイギリス軍の駐屯地として利用されたため、それ以前の様子を復元する試みが行われています。
4時半にはお城が閉まってしまうので、そのぐらいまでのんびりしてから帰りました。]]>
https://www.excite.co.jp/
https://www.exblog.jp/
https://ssl2.excite.co.jp/