地震
2011年 03月 14日
まず、被災地の皆様には心よりお見舞い申し上げます。一日も早い復興のためにできることをしたいと思います。
3/11(金)午後2時46分 東京23区 震度5強
震源:三陸沖 マグニチュード:9.0
研究室でデスクワーク中で、「あー地震ですね」とか言ってたら、みるみるうちに揺れが大きくなって、棚から物がどさどさ落ちて、そこらじゅうの扉とか引き出しががたがた音を立てた。秘書さんが悲鳴をあげて机の下に避難。
最初の揺れが収まったころ、まず研究室の扉を開放。学生の安全を確認。棚という棚からノートとかが落ちていた。実験台は落下防止を徹底していたこともあり、被害なし。薬品類が心配だったが、こちらも対策をしっかりしていたので、まったく被害はなかった。
標本室の移動棚に置いてあったガラス製の標本が落下して破損。今回の教訓だが、移動棚は地震時にロックがかからないものは固定棚より危険。
試薬類のカタログとかが入れてあった本棚は、ネジで実験台に3か所固定していたにもかかわらず、
全てのネジが抜けて移動、中身が崩れ落ちた。
培養細胞を入れておくCO2インキュベーターは、ウォータージャケットといって外壁と内壁の間を水で満たしているので、普通なら押しても全くびくともしないぐらい重いが、50cmほど移動していた。中も水浸しだったが、奇跡的に細胞は無傷。もっと強い地震なら簡単に倒れてしまいそうだから、これも壁に固定するなどの対応を検討する予定。
危険な試薬類を安全に扱うためのドラフトチャンバーは、天井に配管をつなぎとめる部分が外れて穴が開いた。他にも電子顕微鏡とか超遠心機とか、点検調整が必要な機器多数。
教授・准教授・助教2名が出張その他でたまたま不在で、教員が自分だけだったので、しっかりしなくては、という緊張感はかなりあった。
午後3時15分 東京23区 震度5弱
震源:茨城県沖 マグニチュード:7.4
そんなことをやっていたら、強い縦揺れが。「これはやばい」とか言ってたら、ほんとに揺れだしたので、とりあえず屋外に避難することに。
事務の人たちがヘルメットかぶって非常用持ち出し袋とか持って、避難していくのを見て、本部から何の指示も出ないことに困惑。教員と学生はどうなってもいいのか?本部の屋上のスピーカーから放送があったが、上空のヘリの騒音にかき消されて何も聞こえなかった。
しばらく待って、揺れが収まったので、研究室に戻った。7階まで階段はきついが、もっと高層階の人はもっときつかったはず。粉砕された標本はとりあえず放置して、落ちたものをもとに戻す。
その後もゆらゆらと建物は揺れ続けた。電車が完全に止まっていたので、都下に住む学生や秘書さんは帰宅できず。俺は21時前に徒歩で帰宅することにした。大学周辺には帰宅する人が大勢歩いていて、道路は大渋滞。1時間半歩いて自宅に辿り着いて、嫁とお互いの無事を喜んだ。
部屋は思ったより乱れていなかったけど、背の丈ぐらいの本棚が倒れて、収納してあったアルバムやら下敷きになったものが少し壊れた。あと洗面台が壁からちょっと剥がれたような跡があった。
ガスが安全装置が働いて止まっていたので、玄関わきのメーターで復旧させた。電気も問題なし。テレビで東北の惨状を知って、言葉を失った。地震には多くの建物が耐えたにもかかわらず、想定外の巨大津波が多くの被害をもたらしたらしい。
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3/12(土)
明け方、緊急地震速報で起こされた。地震に備えたが、特に揺れなかった。その後も立て続けに3回ぐらい来たが、特に揺れなかった。朝起きて、中越を震源とする別の大地震だったことを知った。
朝やらなければいけない実験があったが、交通機関の麻痺が続いていたので、自転車で出勤した。都内は平静を取り戻しつつあるように思えた。
仕事を片づけ、研究室の状況を再度チェックしてから昼に帰宅。コンビニには食料がほとんどなかった。
夜になって、近所のスーパーに買い出しに行ったところ、すぐに食べられるパン類は全て売り切れていたが、そのほかは普通に売られていた。念のため、ということで非常食系を購入。
夜が更けるにつれて、どんどん被害が拡大していく…。阪神大震災のときもテレビで状況をずっと報道していたが、東京が揺れなかったので、そこまで実感がなかった。今回は、東京もかなり強く揺れたので、東北・北関東の状況が他人事とは思えない。
テレビで首相と官房長官の会見を見た。首相はともかく、官房長官はよく事態を理解していて、わかりやすく説明することに心がけているようで、官房長官としての役目をきちんと果たしていると思った。
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3/13(日)
そんなこんなで疲れがたまっていたので、一日休養。夜になって、計画停電の話がニュースで報じられるようになった。大学からも節電の指示がきて、照明・空調の原則使用禁止、不要な機器、PC類の電源オフとのこと。
報道発表では23区で唯一荒川区だけが停電の対象になっていたが、東京電力のHPにアップされていたファイルでは他の区も入っていた。荒川区に関しても、荒川、町屋、東尾久は記載されていたけど、俺の住んでいるところは書かれていなかった。
東京電力に問い合わせようと思っても全く電話がつながらないので、諦めて寝た。停電するにしても日中だから影響ないだろう、と。
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3/14(月)
計画停電初日。朝からJR私鉄各線が運休や運転本数を減らして運行していて、各駅で混乱が生じていた模様。俺は自転車で出勤。
とりあえず薄暗い中で作業をしていたが、夕方になってかなり暗くなってきた。手元の蛍光灯だけはつけている。日中はだいぶ暖かかったけど、だいぶ寒くなってきた。
今後も首都圏全体がこのペースで節電するのは難しいと思うので、やはりどこかで計画停電に踏み切ることになるんだろうな、と思う。枝野さんがどんどん疲れている。副長官と交替でやればいいのに。
3/11(金)午後2時46分 東京23区 震度5強
震源:三陸沖 マグニチュード:9.0
研究室でデスクワーク中で、「あー地震ですね」とか言ってたら、みるみるうちに揺れが大きくなって、棚から物がどさどさ落ちて、そこらじゅうの扉とか引き出しががたがた音を立てた。秘書さんが悲鳴をあげて机の下に避難。
最初の揺れが収まったころ、まず研究室の扉を開放。学生の安全を確認。棚という棚からノートとかが落ちていた。実験台は落下防止を徹底していたこともあり、被害なし。薬品類が心配だったが、こちらも対策をしっかりしていたので、まったく被害はなかった。
標本室の移動棚に置いてあったガラス製の標本が落下して破損。今回の教訓だが、移動棚は地震時にロックがかからないものは固定棚より危険。
試薬類のカタログとかが入れてあった本棚は、ネジで実験台に3か所固定していたにもかかわらず、
全てのネジが抜けて移動、中身が崩れ落ちた。
培養細胞を入れておくCO2インキュベーターは、ウォータージャケットといって外壁と内壁の間を水で満たしているので、普通なら押しても全くびくともしないぐらい重いが、50cmほど移動していた。中も水浸しだったが、奇跡的に細胞は無傷。もっと強い地震なら簡単に倒れてしまいそうだから、これも壁に固定するなどの対応を検討する予定。
危険な試薬類を安全に扱うためのドラフトチャンバーは、天井に配管をつなぎとめる部分が外れて穴が開いた。他にも電子顕微鏡とか超遠心機とか、点検調整が必要な機器多数。
教授・准教授・助教2名が出張その他でたまたま不在で、教員が自分だけだったので、しっかりしなくては、という緊張感はかなりあった。
午後3時15分 東京23区 震度5弱
震源:茨城県沖 マグニチュード:7.4
そんなことをやっていたら、強い縦揺れが。「これはやばい」とか言ってたら、ほんとに揺れだしたので、とりあえず屋外に避難することに。
事務の人たちがヘルメットかぶって非常用持ち出し袋とか持って、避難していくのを見て、本部から何の指示も出ないことに困惑。教員と学生はどうなってもいいのか?本部の屋上のスピーカーから放送があったが、上空のヘリの騒音にかき消されて何も聞こえなかった。
しばらく待って、揺れが収まったので、研究室に戻った。7階まで階段はきついが、もっと高層階の人はもっときつかったはず。粉砕された標本はとりあえず放置して、落ちたものをもとに戻す。
その後もゆらゆらと建物は揺れ続けた。電車が完全に止まっていたので、都下に住む学生や秘書さんは帰宅できず。俺は21時前に徒歩で帰宅することにした。大学周辺には帰宅する人が大勢歩いていて、道路は大渋滞。1時間半歩いて自宅に辿り着いて、嫁とお互いの無事を喜んだ。
部屋は思ったより乱れていなかったけど、背の丈ぐらいの本棚が倒れて、収納してあったアルバムやら下敷きになったものが少し壊れた。あと洗面台が壁からちょっと剥がれたような跡があった。
ガスが安全装置が働いて止まっていたので、玄関わきのメーターで復旧させた。電気も問題なし。テレビで東北の惨状を知って、言葉を失った。地震には多くの建物が耐えたにもかかわらず、想定外の巨大津波が多くの被害をもたらしたらしい。
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3/12(土)
明け方、緊急地震速報で起こされた。地震に備えたが、特に揺れなかった。その後も立て続けに3回ぐらい来たが、特に揺れなかった。朝起きて、中越を震源とする別の大地震だったことを知った。
朝やらなければいけない実験があったが、交通機関の麻痺が続いていたので、自転車で出勤した。都内は平静を取り戻しつつあるように思えた。
仕事を片づけ、研究室の状況を再度チェックしてから昼に帰宅。コンビニには食料がほとんどなかった。
夜になって、近所のスーパーに買い出しに行ったところ、すぐに食べられるパン類は全て売り切れていたが、そのほかは普通に売られていた。念のため、ということで非常食系を購入。
夜が更けるにつれて、どんどん被害が拡大していく…。阪神大震災のときもテレビで状況をずっと報道していたが、東京が揺れなかったので、そこまで実感がなかった。今回は、東京もかなり強く揺れたので、東北・北関東の状況が他人事とは思えない。
テレビで首相と官房長官の会見を見た。首相はともかく、官房長官はよく事態を理解していて、わかりやすく説明することに心がけているようで、官房長官としての役目をきちんと果たしていると思った。
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3/13(日)
そんなこんなで疲れがたまっていたので、一日休養。夜になって、計画停電の話がニュースで報じられるようになった。大学からも節電の指示がきて、照明・空調の原則使用禁止、不要な機器、PC類の電源オフとのこと。
報道発表では23区で唯一荒川区だけが停電の対象になっていたが、東京電力のHPにアップされていたファイルでは他の区も入っていた。荒川区に関しても、荒川、町屋、東尾久は記載されていたけど、俺の住んでいるところは書かれていなかった。
東京電力に問い合わせようと思っても全く電話がつながらないので、諦めて寝た。停電するにしても日中だから影響ないだろう、と。
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3/14(月)
計画停電初日。朝からJR私鉄各線が運休や運転本数を減らして運行していて、各駅で混乱が生じていた模様。俺は自転車で出勤。
とりあえず薄暗い中で作業をしていたが、夕方になってかなり暗くなってきた。手元の蛍光灯だけはつけている。日中はだいぶ暖かかったけど、だいぶ寒くなってきた。
今後も首都圏全体がこのペースで節電するのは難しいと思うので、やはりどこかで計画停電に踏み切ることになるんだろうな、と思う。枝野さんがどんどん疲れている。副長官と交替でやればいいのに。
by genta_ito | 2011-03-14 00:00 | 日記